素材がひとつ使えなくなってしまいました。しかも作品を制作する上での頻度がもっとも高いシルクオーガンジーという薄い布です。私の作品をご覧いただいている方はピンとくるでしょう、この素材なしでどうしたらよいのでしょうか?

本日、材料箱を開けてみると今回の作品分の布が足りないと思い、横浜駅の布屋さんに買い出しにいきました。いつもの売場にいって探しても見つからず、店員さんに聞いてみると在庫をもっていないので店頭にあるだけですとのこと、注文をしていたら間に合わないので、蒲田まで行くことにしました、さて売場に行くとここにも目的の布が置いていません。

ベテランそうな年配の紳士風の店員さんをつかまえてどういうことか質問をしてみると、なんと製造中止とのこと、原価も高いし、買う人も少ない、安いポリエステルの質感がよくなった、などなどいろいろと理由をあげて、結局は工場での製造終了が決定し、今後この布がつくられることはなく、在庫もなくなり、そこに置いてあるだけですとのこと。

いきなりの宣告です。落ち込みます、どうしたらよいのか、とりあえず今回の作品は安いポリエステル製でいくしかないので泣くなくそれを購入しました。まあ、今までもたまにコレを使っていたのですが表面の質感がまるで別物で作品の目的によってシルクとポリエステルを使い分けていました。その片方が完全消滅というのは困ったことなのです…。

こういうことは今までも何回か経験しています、とにかく人があまり使わないもの、高くて採算が合わないもの、すこし面倒で環境への影響などが心配されるもの、ほとんど個の思いで支えられているもの。理由はわかります、「そんなものつくっても食っていけない」ということです。創造派の人たちが極端に少なくなってきていて使う素材も少なくなってきていて、前世紀につくられた財産はひとつひとつ失われてゆくのを黙って受け止めるしかありません。逆に苦しい中、ここまでつくり続けてくれていたことに感謝しなければなりません。

制作の計画もすこし修正しなければいけません。今回、ガラッと作風を変えましたがこういうことだったのかもしれません、自分の皮膚はいろいろなことを察知しているのです。とりあえず今後のことを考えると他の布屋さんを回って新しい素材を少し探さなければならないでしょう。

「なぜ、作品を創っているのですか?」そんなことを聞くなよ…。でもこんな質問をよく受けます。格好いい返答を考えますが未だに見つかりません。「なんででしょうか?」逆に聞き返したりしてしまいます。しかし今世紀に入ってもはや「モノなどつくらなくてよい!」「売ることを考えろ!」というのが大きな流れでしょう。作品とはなにか?表現とはなにか?文化とはなにか?このような問いかけは本来つくる側の人間ではなく一般の人々に問われる問題のように感じます、私たちはつくり続けるしかありません、それを受け止めてくれるのは社会や市民であるあなた方なのです。おそらく素材や環境など表現をとりまくものはそんな高い意識の人々の愛情によって支えられているのです。ですから私たちを見捨てないでいただきたい。私たちはこれでも真摯に世界と向き合い内的な戦いを常にくりひろげているのだから…。

私はつくり続けることしか答えがみつかりません。
ガンジー、今日までありがとう。
次にいきます。

2 thoughts on “サヨナラガンジー”

  1. ちょっと話はそれますが…
    アパレルやミュージックなど以前は創る人への憧れが強かった気がしますが
    いつしか衣服はセレクトショップ文化となりデザイナーよりもそれを選ぶバイヤーが注目され、音楽はクラブ文化によりプレイヤーよりもそれを選ぶDJに注目が集まってきた気がします。一般の人々と創り手の間に、必要以上に選び手のフィルターがかかることによって、不必要というレッテルを貼られたモノが姿を消していってしまうような気がして。もちろんそこには創る側の努力が必要であって、時代のせいにはせず、戦い続けるしかないですけれどもね。いつかまたシルクオーガンジーが帰ってきてほしいですね。

    1. 書き込みありがとうございます。確かにアートの世界でもギャラリストやキューレターという人々が注目されている気がします。
      モノや情報が人々の欲求を刺激して消費させるものではなく、社会や文化を支えているものであるという視点を見失ってはならないと思います。
      生物多様性と同様にそれらが失われることは、世界のつながりが希薄になることにもつながっていうような気がしてなりません…

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