韓国弾丸ツアーに行ってきました。
国を出てみると国について考えることがあります。

ある小説家はかつて「大義のために死す」と論じました、しかし今日、日本が終わってしまってもいいという人もいる、一人ひとりが幸せに生きられないのであれば日本にこだわらなくてもいい、世界のどこかでいい、日本が終わる?だから何? 人はどんな状況でも、生き延びていくことができる…。なんとなく幸せと不安が共存した絶望的な国で日々をおくる、そんな感覚の人たちが増えてきているようなのです。

モノの価値が国をまたぐことで変化する、例えばコンビニで買う菓子パンが日本の半額であるというコトなどは安くてよかったと素直に喜んでいられません、世界全体では大きな問題であることに気づかされます。どうやら人々は食べるために働く以上にお金のために働く習性を持っていたことを思い知らなければならない時代なのです。ですから余計なモノは一切買わずに帰ってきました。

日本の美意識についてもあらためて考えさせられます。よく運転が乱暴だったなどの感想を聞きましたが、道を見ると単純に舗装がきたないだけでドライバーの責任だけではないような気がしました、日本は道がキレイなのです、ちゃんとしている、見えないところも丁寧な仕事をすることは日本人の美徳なのです、ただ終末的日本の感覚においては崩壊していることなのかもしれませんが…。

街並みを見るとほとんど日本との差は感じられません、文字化けした日本なのです。人はどうか?作品はどうか?まず国民性というくくりで相手を見てしまいます、なにか文化の香りのようなものを一生懸命にさがしてしまいます、でも創っているものを見るといいなぁと感じるモノもあればそうでないモノもあるそれは日本で見るのとなんら差はないのです。豊かさの時代を通過した若者世代の思考も国を超えた共通点があるようでした。

国と国の境についてとやかく言うのも記念日的なノリと社会の一部がそのように仕向けているとのことでした、ほとんどの人たちは友好的ですと現地に住む人が言っていました。今、私たちに必要なことは「いいなぁと感じる」共通意識のようなものを軸としたつながりなのです。同時に他の人たちの「いいなぁ」とも、よっぽど醜いものでないかぎり尊重しあわなければなりません。日本の美徳を広めることも同義です。国同士の競争ではなく価値や思想というものの意志で世界を超えてつながってゆくこと。格差を生まない世界システムを導入しなければならないのでしょう。

残念ながら頭が悪いのでこの程度のことしか言えませんが、なんとなく幸せと不安が共存しているのも世界共通のことかなぁと想像します。
世界人口70億人だそうです。

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