わたしは○○の為に○○をするというコトが苦手というか大嫌いです。

昨日も後輩のブログを読んでいて、社長の為には働かない的な文章に対して余計な訳わからんツッコミをいれて我ながら大人げないと反省してます。許してくだされ。でも多かれ少なかれ、わたしは社長の為に働いている部分があることは否定できませんし、社会や社長や家族以上に少し意味合いは違いますが、最終的には自分の誇りの為に働いているのだと感じています。

さて余計なツッコミはさておいて、そのあと悶々としたまま「大義のため」と検索してみると三島先生のインタビューのyoutubeにいきあたりその中で先生は、8mmフィルムのカタカタという音をバックに「自分の為などというものに人は飽きてしまう…」とおっしゃる、おそらく先生の最後は己の美意識の完成型だったはずなのでは?

さらに検索をすると若き緒方さんが演ずる伝記映画が英語圏でない字幕がついてupされていました、若き日にこの映画を見た記憶がありましたので先生の生き様の復習として見てみました、若き日のスターが沢山出てきてそれ自体も興味深いのですが主役の緒方さんの本気度が伝わってきて、その本気度は先生がかもし出していたオーラにも通じるものがあると関心しました。

さらにさらに映画の中で出てくるシーンの本物の映像もyoutubeにはあり、強烈に感じたのは東大での学生との対話、昔の大学生は大人に感じるなーということと、革命など…と半分ばかにして壇上で煙草をふかし学生たちを見下す、先生の態度が格好いいなぁと、憧れはさらに強くなり、夜も更けて…。

本棚から先生の本を取り出して読み返していると、明日は先生の命日ということに気づき、大げさですが運命的なものを感じずにはいられず、本を読み進めると先ほどみた東大での対話の後に記された文章があるではないですか。結局革命などと騒いでいても機動隊と学生は大人と幼児の関係みたいなもので機動隊が本気をだせば学生の角棒などはひとたまりもなく、学生も大人もみな適当に付き合い、本気で身命を賭して何かをしようとしている者がいればこのような状況にはなりえないというような嘆きを読み取ることができました。東大は第二上野動物園にでもしてサル並の学生の生態でも観察せよ!と痛快です。以下一部抜粋です。

未来を信じない奴こそが今日の仕事をするんだよ。現在ただいましかないという生活をしている奴が何人いるか。現在ただいましかないというのが“文化”の本当の形で、そこにしか“文化”の最終的の形はないと思う。

小説家にとっては今日書く一行が、テメエの全身的表現だ。明日の朝、自分は死ぬかもしれない。その覚悟なくして、どうして今日書く一行に力がこもるかね。その一行に、自分の中の集合的無意識に連綿と続いてきた“文化”が体を通してあらわれ、定着する。その一行に自分が“成就”する。それが“創造”というものの、本当の意味だよ。未来のための創造なんて、絶対に嘘だ。

三島のいうことには未来のイメージがないなんていわれる。バカいえ、未来はオレに関係なくつくられてゆくさ、おれは未来のために生きてんじゃねェ、オレのために生き、オレの誇りのために生きている。

この文章では、「オレのために生き、オレの誇りのために生きている。」とハッキリ述べられている。あぁやっぱり先生そうですよね…。芸術家やモノをつくる人は、自分の中にあるものがすでに何かとつながっているものなのですよね…。そして常に自分の中の蓄えを膨らます努力をおこたらない、ですからオレの中には、間違いなく個を超えた“文化“や”創造”が息衝いてきます、でもさらに、それを超えた力強いオレが必要なのですよね…。なにかの為ではなく、己からあらわれてくる衝動。それらが生きる意味であったり、働く意味なのではないでしょうか?うっすらそうかもしれないと思うのであればそうしてみればよいし、それが無い人は何かを生みだす現場から去るべきではないでしょうか…?そのほうが幸せかと思います。

本日は先生の本を胸に市ヶ谷の勤め先に出勤しました。理由はわかりませんが、通勤途中のバスから見た国会図書館の日の丸が半旗であったことをココに記しておきましょう。

5 thoughts on “後輩たちへ”

  1. 本文からそれてすみませんが…
    冒頭のブログへの書き込みの件、自分は片平さんの言葉に全く『同意』でした。
    芸術はまた違うのかもしれませんが、少なくとも我々の仕事は…
    自分のためにやった結果が、家族や同僚や社長や会社や社会のためにもならないと成立しない仕事な気がするので、社長のためではなく自分のため、ってことはあり得ないというか、そうれはもうアウトっていうか。
    きれいごとかもしれないけれど、やっぱ皆が笑顔だと自分も笑顔な気がするので。
    すみません本文と関係なくて。。。

    1. 本当に難しいコトなんです、三島由紀夫は「大義のため」と「自分の誇りのため」とを自分の中で同義させたかったように思いました。ただ僕なんかは意志が弱いのでつい○○の為って聞こえがイイので、それに称して自分に嘘をついているような気がしてなりません、人の為とか未来の為とかお金の為とかって自分を犠牲にしてすることではなく、ホントは自分の誇りとしてやらなくてはいけないことなんですよね…。ですから常にいろいろな人の考えを飲み込んで、さんざん学んで、腹にたくわえて、共感して、最後には自分の誇りとして自分から出てきたものでないと、本当に○○の為にならないのではないかなぁと思うのです。しかも○○の為ってのが過ちか正しいかなんて誰にも分からないですしね…。(悲しいけどなんか美しい…)だから結局は、○○の為とか偉そうなこと言ってねぇでテメェの仕事を深く考えてとっととやれよ!ってことですかね…。
      あと「片平さんって何の為にそんなことしてんの?」ってのもナシでお願いしますよ…。よくわかってないっス。

  2. どうも、お久しぶりです。大変おくれてのコメントすいません。大変興味深く読ませてもらいました。「三島氏のことば」胸に突き刺さります。氏の小説は好きで若い頃、読んでいましたが、エッセイ的なものは読んだ事がありません。上のことばは、氏の小説から想像できないほど、非常にストレートで裸の三島由紀夫が見えてくるようです。個人的な事ですが、最近、岡本太郎氏が残していった「ことば」が気になっています。同じ「ことば」であっても以前と響き方が違う気がするのです。混迷とした状態を突破する勢いのある「強度」を必要と感じているのかもしれません。それと同じ感触を三島氏のことばにも感じました。
    上の三島氏の著作の題名を教えてもらえないでしょうか?御願いします。
    長くて、すんません。コメントじゃないな〜…。

    1. ueshimaさん。書き込みありがとうございます。この本「若きサムライのために (文春文庫)」というヤツです。文学とちがってエッセイとか対談中心なのでそれはそれで伝わってきますよ、死の一年前の文書なので余計にそう感じるのかもしれません。ただ三島氏の伝わらないというもどかしさは、今も更にひどくなってきていますし、氏が残していったものは、今、まさに宿題として我々が考えなければいけないことのように感じました。岡本太郎氏の「ことば」シリーズもパワーをもらえる感じがしますね。なんか美味しいところを抜き出してるヤツはいかがなものかと思いますが、文章はわたしも大好きです。この辺りの本って、ツイ、若者に貸して帰ってこない確率大です…ではでは。

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