「言葉は、時に人を癒やし時に傷つけ、良薬でもありナイフでもある」と通勤途中のラジオで名前は覚えられませんでしたが作家の方がおっしゃられていいました。また「自分のための言葉ではなく、人を動かす言葉を意識することで両者が幸せになれる。」とも、確かに独りよがりになりがちな言葉も相手を思いやることでコミュニケーションもスムーズになり対話も深まり自分のためになるんですねー。なるほど。でもムズカシー。

さて、ひょんなコトから久しぶりにポートフォリオをまとめました、簡単に言うと売り込み用のファイルです。作品の質はもちろんですが、アーティスト・ステイトメントもとても重要な意味をもってきます。自分を評するコトはとても難しく、なめられてはいけないとツイ訳の分からない単語を羅列して自分を必要以上に知的に飾ろうとするのもダメですし、あまりにシンプルな中学生の作文のようになってもダメ、あまりに客観的な自己分析でアンタ二重人格?みたいな感じもダメ、詩的表現で意味不明なものもダメ、なかなか素直に自分の言葉で端的に表現の意味を表し、読まれたアート関係者がなるほどコイツはこういうヤツかと思い知らせるのは大変に難しいのです。

しかも今、自分がつくっているものの意味性や必要性なんて簡単に言葉に表せるようなものではないのです。なんとなく遡って今の作風になってきた理由などを列挙して自分の内部で反応している部分がどこなのかを探り、どんな刺激を喰って、どんな投げかけをしているのかを見極めて分析し言葉に置き換えて…といった作業は異常に気が滅入る作業なのです。

同じ言葉が頭の中をグルグル回り、異常に長くなった言葉を編集し、うまい言葉がないか弱いアタマで探し回り、起承転結みたいなものも少しは意識して物語をつくり…なんてことをやっていると、周りの人としゃべるコトも面倒になるし、精神的にも暗くなりますし、非常に疲れるわけです。切れ味の悪いナイフで訳のわからん果実を切り刻むわけですからどうにもならない訳です。

何かを伝えるために作品つくってんのに、それを説明する言葉が必要なのですか?という質問がきそうですが、なんかこのシステムはワールドスタンダードなようなので小芸術家にはついて回るのでした…。なんか最近、陰気くさいと思われてそうなので言い分けしときます…。こんなんしてました…。

読ませろ!って?そんなの恥ずかしくて無理です…。
ブログの方が素直ですよ…。

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