自分が感じている断片に静かに耳を澄ますことは、モノをつくる行為でもっとも大切なことではないかと思います。

しかし、静かにひっそりと立ち止まり佇みたいと思っているのに、膨大なノイズがカラダを支配している現実があります。そのノイズも輪郭がみえるくらいにボリュームを絞ってみるとそれもまた耳を傾けるに値する“感じるモノ”に変質してくるものです。

昨日から花粉症のクスリを止めてみました。
カラダの薄いベールがはらりと消滅し、ノイズのボリュームが少し下がったような気がします

震災以後、空虚感や疎外感みたいなものに支配されることがしばしばありました。それは、それ以前から考えていたことにに対して大きく舵をきる時がきたのだと自分を奮い立たせ、立ち位置をづらしてゆく契機なのだということに対して、周囲の反応があまりにもづれている結果、もたらされていることなのです。自分が一生懸命に蒔いている種が迷惑行為ごとくに捉えられることに虚しさがありました。その種が雑草のように生い茂ることからほど遠いことを知ると、迷惑もクソもない静かに蒔き続けてやるさっ。と日々淡々としてきます。

余計なコトなど考えない。「感じる」ことの日々を追い求めたいと思います。

ひとつの季節が去ってゆくのと同時に
創作意欲がムクムクとしてくるわけであります。
「美らしき意識をカタチに結実せよ。」と
厳しい課題が今日もどこからか降ってきています。
“美しい”ではなく“美らしき気配”みたいな感触…。
に向かっています。

 

4 thoughts on “感じる季節”

  1. ”美らしき気配”良い表現ですね。
    そうしたものが感じられるのは、春なのでしょうかね。広い意味で。
    大事にしたいですね。

    1. 書き込みありがとうございます。
      そうですね…初々しい季節です。今日も気持ちのイイ一日でした。

  2. 作品、いいですな!

    話かわるけど、次回作の群舞のシーンで、sonotaの「釣人の疑い」をちょっと使わせてもらいますゆえ。

    DVDも出来たら送ります。

    1. ありがとうございます。
      なんと言葉にすればよいのやら…。感謝です。

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