美術などというものが、
わたしたちの生態系にすっぽりと収まっているものであってほしい。

“アイヌ語の中に「自然保護」という言葉はありません。自然、つまり海でも山でも、川でも鳥や獣に至るまで、もしも口があったなら「人間其よ、自然保護などという大それた言葉を慎しめ。我々自然は保護される事を望むのではなしに、人間であるあなた達がぜいたくをしない限りにおいて、紙にする木材でも、薪でも、家を建てる材料でも供給できることになっているのだ」と自然の神々はおっしゃるでありましょう。自然は常に巡っており、生きもの同士がその摂理の中でそれぞれの生命を全うするはずが、人間共の勝手なエゴや欲望によって、虫達の家や着物を剥ぎ取り、鳥や動物達の住み家までも奪い去っています。これもまた、侵略です。”
萱野茂の言葉

意識が高く健康を気にして食べ物やなにかに神経質な人も、意外と見てしまうものや聞いてしまうものには無頓着なように感じます。
目や耳から飛び込んでくる一見心地よい情報に、知らず識らずに精神が犯され続けているのかもしれません。そう考えるととても怖い…。
わたしたちの広汎にわたる侵略は、巡り巡って心の崩壊を導いているように感じます。

残念ながら、無用心に入ってくるそれらを遮る手だてはなく、
大気汚染の粒子を酸素と一緒に吸い込んでしまうかのごとく、
汚染されたパースペクティブがカラダに蓄えられてしまっているようです。
しかも半端ではない量を…。

もし、自然の一部であるヒトとしての生態系にそった生き場所を取りもどすことができるのであれば、この心配は一気に吹き飛ぶはずです。その時、今、考えている美術がそこに在ることができるのか?いや、在るようにしなければならない。そんな方向に自分の仕事を向けなければならない。
そんな気持ちをぶつけてみたいと思います。

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