今日、
「10代の頃に“つくる”コトに憧れを持ち、そして美大に入り、そして、社会に出ても、その炎を燃やし続けられる人が、“つくる”才能がある人ではないだろうか?」という話をききました。まず、若い頃の憧れが無ければ“つくる”ことなどできませんし、多くの同志も、様々な理由でその炎を消してしまいます。でも、消してしまった後も、生きる為という理由でモノを生み出す事は、不幸でしかないのです。

先日、
「アートは、“思い”で、デザインは“思いやり”なのだ」という考えを読みました。

私もハシクレながら、アートとデザインに関わっています。果たして“思い”と“思いやり”を持って日々を過ごしているのか?と自照してみると、素直に「やってますョ。先生!」と言うことに、ためらいを感じます。日々、ブレまくっています。そのことは、“つくる”コトの炎が消えかかっているということか?と考えてしまうわけですが…10代の頃に夢見た憧れと現実とのギャップが一番の理由なのです。

「無知とは、知が無いと言う事ではなく、オノレの知に自身が占有されていて、新しい知を吸収することが出来ない状況を表しているのだ。」この言葉にもドキリをさせられました。

10代の頃と現在の状況は、あまりにも違いが大きいのです。しかし、変化に合わせた新しさを身につけて、その上で戦わなくてはいけないのです。こんな時代だからということを理由にしてはいけないのです。炎を消してしまった奴らに流されてはいけないのです。

目の前に、大きな薪がなくとも、小さな薪を拾い集めて、
炎を燃やし続けなければいけないのです。

2 thoughts on “小さな薪”

  1. もうちょっと素直になった方がいいのかなと自分で思う時があります。
    なんか屈折してる方が居心地がいいのは事実なんだけど、ちょっと知を吸収するだけで無知から解放されるのならそれも良いのかなと。
    でも「無知でもいいじゃん別に、けっ。知るか」という自分も居て….。
    ハテサテ。……..
    P氏は、春の訪れとともに燃えはじめましたかぬ?。。。

    1. いやいや…
      常に小さく燃えて…淡々としておりますよ。。。
      ほとんど、ひきこもりで人と話すことが無いのだけれど
      たまに話をしたときに、「コイツ、無知で小さい野郎だな…」と思ってしまった時
      ふと、オレもそういう風に思われてる???と感じてしまった訳でして
      すこしばかり反省してみたわけであります…。
      でも基本。わたしも「けっ。知るか。コノ、アホ、馬鹿が!」です。

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