太陽対決

映画『太陽を盗んだ男』を見ました。中学の理科教師のジュリーが夜な夜な汗水たらして原爆をつくりあげる過程、まだまだ全盛のアキバが出てきたり、サラ金で借金して機材を買ったり、昼間は職場で昼寝したりと、どこかの誰かさんと似たような生活っぷりに共感できるシーンのオンパレードでした。

さて、完成した爆弾ですが何を脅迫したかったのか?ジュリーは悩みます、圧倒的な支配力を手にしたのですが何を要求すべきか?しかしその要求は「プロ野球のナイター中継を最後までやらせろ!」とかラジオで募った「ローリングストーンズの来日公演をやれ!」とかマトモな要求ができないコトにジュリーのジレンマは増してゆくのです。

もし、死ぬほどお金を持っていたらとか、強大な権力を持っていたらとか、よく酒の席で盛り上がったりするのですがマトモに結論を出すのは難しいものです。まず最初に自分の欲求を充たすすること、または、身の回りの不満を解消することを思いつきます。次には周りの人たちの問題を解決してあげたくなり、世界をこんな風にしたいなどと思いつくのは明け方になってもたどり着けそうもないのです。

先日、太陽光発電音響装置計画プロジェクトでイベントに参加しました。このプロジェクトは小さな発電システムで起こしたエネルギーで社会とは隔絶したノイズをタレ流すということを目的に活動しています、そのために夜な夜な電気回路と格闘しコツコツといろいろな装置を制作しています。

先日のイベントで数分間の演奏をした後に不機嫌そうなオッサン(自分もオッサンですが…)が、“家でもこんな音楽を聴いているのか?”と、いかにも批判的な空気を漂わせて質問してきました。ジャズやロックだってオッサン(本当に失礼ですが自分もオッサンです…)にとっては不機嫌な音楽だったのです。ネットを検索すれば現在進行形で不機嫌な音楽は、世界中に溢れているのに不機嫌と感じるオッサン(本当にスンマセン。自分もオッサンです…)には届かないのです。いかにも爽やかで心地よい消費材的な音楽に囲まれた日常を送る人達は、このようなノイズが直接突きつけられることが無いのです、ですから、普通にふらっと歩いている横でヘンテコリンなノイズが鳴り響いているという状況は、聞き慣れた実は暴力的な心地よい音に溢れている日常とは違う感覚に襲われるというわけなのです。

でも、私は誰かを驚かしてやろう!なんてココロザシでこのプロジェクトをやっているわけではありません。ただ震災での停電体験以降ビリビリしたエレキテルを自分が体験したいということだけで始めたのです。そして少しだけ周りに見せびらかしたいのです。巷でいわれている自然エネルギーは本当にいいモノなのか?そんなに偉いのか?そんなにカッコイイか?馬鹿にはそれを実際にさわってみて感じてみなければ答えが出ないのです。自らを自らの手で隠蔽していくのが常識化してしまった世の中はつまらない、馬鹿を真剣にやる心意気が好きなのです。セコセコ生き延びることを考えるより、生きること(それ自体がエネルギーなのだ)を考えるコトが好きなのです。

実は今日は誕生日。なにやってるんだろ?とか、これからどうなるのだ?などということは考えたくありません。でも、聞こえる周波数は着実に狭くなるそうです…そして、感じられる世界はどんどんと狭くなってゆくそうです…ということは、これまで以上に加速度的に自分が決めた自分に固まってゆくということなのでしょう。本当に辛い話です。
何を突きつけられ、何を突き詰め、何を突きつけてゆくのか?考えたくないけど考えなくっちゃ…です。では。

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