年末に現代美術評論家と少し話しをする機会がありました。「今。現在において敗北感を感じていますか?」と質問してみました。「1910年代(現代美術が産声を上げた瞬間)から現状況の因子はすでに組み込まれていたわけで、今更、敗北感を云々する必要などあるのだろうか?」というような答えがかえってきました。私が云う敗北とは、美術が真の意味での人との共生において失望から絶望に向かっているということで、美術作品から得られる栄養素があまりにも薄まってしまっている現状ということなのです。私が若い頃に触れた気魄ある現代美術の世界は反復運動を繰り返すなかで意味を失い時代の痼りとなり置き去りにされたスラム街に変遷してきたのです、そこには誰も近づきたくないし、一度踏み込んでしまえばドップリと浸って抜け出ることができないバラックの集合体なのです。さらに金儲けのために集めたゴミを売りさばくルートを一生懸命にやってきたわけなのですからタチが悪いのです。

かく云う私もそのバラックの住人です。川向こうの人々が何にワクワクして生きているのか?まだ美術に何かを求めてくれているのか?そして、希望や期待を持って生きているのか?非常に興味があります。バラックの住人との差がどの程度なのでしょうか? でも、私はその差分を埋めるために何かをするなんて考えてはいません。このブログを書くぐらいのことです。それは、美術を愛好する人たちの力に頼るしかありません。キューレターや評論家ではなく、単純に好きな人で良いのです。人々が望んでいるものを提供するのではなく、文化を創造してゆく先駆者の嗅覚と気概を持ったそれらの人達と出会いたいものです。

私は常に時代の先端と後端をみています、そこから何か感じるとることが制作の構成要素であることを否定しません。美らしきことと純粋に向き合うことはもちろんのこと、現代という時間軸で手を動かし、何かを残してゆくことも大切なことだと思います。時代を追いかけることではなく常に先端に居られるかどうか?その態度を維持できるかどうか?静かに戦っっっていこう…思った瞬間。

インフルエンザに感染いたしました。

新年早々大迷惑をおかけいたしました。ようやく再起動いたします。
今年もよろしくおつきあい下さい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です