時をとりもどせ

現代美術を理解する上で、戦後という時代をいかに捉えているのか?というのは大きな課題なのです。というわけで
アンジェイ・ワイダ監督の「灰とダイヤモンド」という作品をみました、この映画は、第二次大戦ドイツ軍が降伏した1945年5月8日のポーランドでの一日を、政治的暗殺を依頼された青年を主人公に描かれたものです。

「松明のごと、 なれの身より火花の飛び散るとき
なれ知らずや、わが身を焦がしつつ自由の身となれるを
もてるものは失わるべきさだめにあるを
残るはただ灰と、あらしのごと深淵に落ちゆく混迷のみなるを」

「永遠の勝利のあかつきに、灰の底ふかく
さんぜんたるダイヤモンドの残らんことを」
(ポーランドの詩人ノルビッド)

やがて夜が明けて焦燥感に満ちた朝がやってくるのですが…。チューニングがはずれた楽器で「それでもアーティストか?」と楽団はオーナーからなじられ夜明けまで演奏させれられ続け、聴衆は虚ろな目つきで眩しい光の中に呑み込まれていきます…。そして物語はクライマックスをむかえました。戦後という時代。私たちや私たちの先輩たちは何を求めてきたのでしょうか?

映画の主題とは少しズレてゆきますが…私たちは、まだ永遠の勝利もダイヤモンドも手にしていません。でも社会的な不調にはとらわれない美らしき世界であることも感じています。それは、そこを志す人々がいるからに他なりません。現代美術をみるときに作品だけではなく、その作者を取り巻く環境や生きざまやスタイルをみることも大切なのです。作者がその行為に至るまでの経緯が作品よりも多くを語る場合があるからです。この映画の場合、体制に対する“抵抗”が根底に流れています。ただ表現においてはそう簡単なものではなく。人間という複雑な生きものの姿を描き出しています。立場や感情などがありそれが時とともに変容してゆきます、抗いきれない心の部分に焦点があたっているからこそ美らしき世界が漂っているように感じるのです。

わたしは、サラリーマン経済世界の社会的責任(大義)“全ての行為が利益をもたらすこと。”を軸にのたうちまわっています。限られた時間の中で最大の利益をもたらすことに注力しています。それが正義とされているからです。「搾取と贈与にゃぁのだぁ〜」と心の中でつぶやき、昼間は金儲けに奔走し、夜中は美らしきもの探しに躍起になっています。自由に“稼ぐ”ことができて自由に“表現”ができる…コトバだけでみれば何とも戦後求めてきた理想社会に近づいてきているかのようにみえます。が、何故か幸福ではないような気がしています。

原因は何なのでしょうか?わたしが抗うべき対象は何なのでしょうか?そしてそこに潜む心の変容はどのような在りようなのでしょうか?日常に忙殺されている場合ではありません。

ここ数週間の追われようは尋常ではありませんでした…。時間を搾取されてしまうシステム。これは抗うべき対象のひとつでしょう…。

みなさま、もっと時間を大切にしましょう!
そうすれば、ライヒのピアノフェイズのように時間のズレからヒョンと新しいチューニングが生まれおちます。絶対にノイズからコトバも意識もカタチも生命も生まれ続けているに違いないという所感を持っています。ノイズはまさしく波長を時間でくぎった中から音を産みだします。美らしき音には、時がコントロールされています。最近、気になっているコトです。

永遠の勝利とは、時を取りもどすことなのかもしれません。

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