新しい価値

政治家が過去のブログを消したようです。これからの仕事は過去を否定したモノゴトを実行するぞということでしょう…。
おそらく、これからそれを読まれては困る…。つまり考えが変わったということなのでしょう…。まぁ、今となっては期待することもなく、どうでもよいと感じてしまいます。自分も過去のブログは結構消しています。誤解を招きそうな発言や間違っていたという発言は、人には見せたくありません。ただ、消している理由はそれだけではなく、薄々皆様、気がついていると思いますが、もはや言論の自由が犯され初めているということもあるのです。それゆえに、他人が何を考えているのか解りづらく、自分が当たり前と考えていることは、実は、とても浅はかで深く考えてみれば、正しいのか?間違っているのか?まったく判断できない。ということが多々あるのです。

人々が望んでいるモノゴトは「新しい価値を提案せよ!」お題目はそれなのです。過去や古い考えに縛られず、新しい思想にのっとた新たなる価値が人々を引きつけるのです。

最近、本屋さんによったとき、奥の方に、渋い本を集めたコーナーができてました。現代美術に関わる「偶然と必然」とか、その他にも哲学書や詩集なども、個人的に魅力的な書籍が並べられていて、お!なかなかやるなー。と感心して物色してたのですが、その中でも「活動的生」という本に目がとまりました、かつて「人間の条件」というタイトルで出版されていたものの最新訳がそのようなタイトルになったようです。数十分じっくり立ち読みしたのですが、アホな脳みそでもなんかスラスラ頭に入ってきて、たまには哲学書もいいなぁなどと、お値段をみてみると…んー高い。丁寧に書棚に戻したのでありました。

数日後また同じ本屋さんに寄りました、「活動的生」は、まだ3冊残っていて数日前から売れた気配も無く同じ場所にたたずんでいました、また、手にとって、このあいだとは違うページを読み出しました。フムフム確かに確かに、人間とはそんなものかもね…。でもねー。高いのですよ。また丁寧に書棚に戻したのでありました。

いまさら、人間がどうしたこうしたを考えてみたところで自分の何が変わるのでしょうか?もうそのような時代ではないのかもなぁー。自分も表現者のハシクレとして何を伝えるべきなのだろう?シュールな世界では許されないのでしょうか?新たな価値観を模索するのか?本質的なものを掘り下げるべきなのか?

ここまで書いてきてやはり本を買うべきだなと思えるようになってきました。新しい価値観によって壊されてきたモノゴトを新たな価値観で埋め合わせるような無限ループに時間をさくより、サルからヒトに進化した人間の本質を常に考え続けることを忘れてはいけないなぁ…などと思うわけです、新しいも古いも関係ない。現代美術家として、人間の本質を探り、その“探り”の中から見える風景を同時代に表現すること。この視点は、結構重要なことなのです。美術が担う役割のひとつなのであります。

こんど本屋さんによったら、本は買ってしまおう。馬鹿はバカなりに学ばなくていけない。たぶんこの出会いは偶然と必然なのです。

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