これでいいのだ

天才バカボンは言いました、「これでいいのだ」と。

美らしきモノゴトなどは、誰かの糧にはなりえません。こぼれおちるものが誰かに届く可能性を秘めてはいますが、それは、自分のための栄養であって「誰かの糧」のためになどと考えてはダメなのです。人は表現によってあらかじめ内にもっている「美らしき感覚」を深めることはできても、まったく未知の「美らしき経験」をすることはできないのであります。それは、後天的に積み重ねられた感性をたよりになされるわけで、ベルトコンベアに乗せられた栄養失調状態の人たちに期待をしてはいけません、生み出されるものに、誰かが、ほめても、貶しても、手綱を投げてはくれないわけです。

栄養失調のヤツらを相手にしていたら、すぐに此方もベルトコンベアに乗せられてしまいます。みんな自らの栄養は、自らが意識して取ってくださいませ。私は、「これでいいのダー!」と吸収しバラマキ続ける所存なのであります。

最近、クリシュナムルティーの言葉に出会いました。
「偏見は 、理想 、信念 、信仰と共通点をもっています 。これから世界の実情 、外部の世界においてだけでなく 、内部の 、心理の世界で起こっていることを観察していく際 、私たちは一緒に考えることができなければなりません 。そして一緒に考えていくためには 、私たちの偏見や理想等々に注意しなければなりません 。なぜならそれらは 、あらゆる混乱 、不幸 、テロ 、破壊 、とてつもない暴力を超越したものを一緒に考え 、一緒に観察し 、一緒に吟味し 、そして一緒に発見するのに必要な能力とエネルギーを妨げてしまうからです。」

そう、「偏見」と「理想」は同じことなのです、「偏見」がいけないっていうのは、すぐに気づきますが、「理想」も同質とは!!! 私にとっては、目からウロコの大発見なのであります。対話研究の一環からここに及びました。両者が対話への妨げであると同時に、なにかを生みだすコトにおいても妨げであることを理解しなければなりません。

しかしながら、「これでいいのダー!」「それでいいのダー!」といいながら、小難しい話をついヤラかしてしまう我が性癖、我ながら内省し恥ずかしい思いの数珠つなぎ…。

「一緒に考え 、一緒に観察し 、一緒に吟味し 、そして一緒に発見する」変化を実感し、学び、つくる。

そして、一緒に考える前に、自らの栄養は、自らが摂取し「自分で考える」

たぶん、これでいいのだ。

  • コメント: 0

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP