百合さん

自分の心に向かって究める以外に方法はないらしい。

昔、えらいお坊さんが
「もし自分自信を忘れ深い自己をみることができれば森羅万象になれる。」と
言ったとか、言わなかったとか、
自己の深いところは、宇宙とつながっているらしい。その感覚を求めるが故に、修行しているということなのでしょうか?それが全てではないのでしょうが、表現の世界でもそのような取組は、とても美らしきことのように感じるのです。

さて、家の前に百合がニョキニョキ伸びてきまして、花をつけました。そこはかとない香りをまきちらし、道行く人たちも、その花をみて、キレイですねー、と声をかけてくださる方も多く、きっとこの花は美しいのだなー、と思うのでありました。でも待てよ!なんでこの花が美しいのだ?とも考えてしまうのでありますよ。それには原因がありました。写真です。美しいから撮影する自分で撮った写真なのであります。

そこには自分がみている美しいものが定着される、でもそこに写っているものは、なんか自分の心とは少し距離があるように感じてしまう。のであります。撮影技術の問題もあるでしょうが、間違いなくそれは感性の問題でしょ。そりゃ、まだ修行足らんわけです。

つぼみが膨らみ、水で膨らむ風船のように何かに押されるかのごとく、つぼみが開き始め、綺麗に並んだ雄しべと雌しべが少しづつ解放され、花びらはなんともいえない曲線で開かれていき、雨が降り注ぎ、その花びらを花粉が汚し、やがて水道の元栓が止められたかのように花びらは薄茶にちじれてゆき、さいごにはポトリと土の上に落ち、ペタンコに朽ちてゆきました。さてその事象のどこに、どの一瞬に美つらしさが隠れているのでしょうか?お前には、みる目が足らんのじゃ!ということになるわけなのであります。

自分の心に向かって、百合さんを問うているか?生活の一コマなのだけども難しい話なのでありました。

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