感覚種

創作活動とともに生き、多くの時間を費やしここまで来ていることに気がつきました。いまさらかよと思われるかもしれませんが、年が変わってゆく瞬間などにふと考えてしますのです。かつて〇〇派などと呼ばれていたような芸術運動は鳴りをひそめ、いまや作品と呼ばれるものは、ちりぢりに点在し、個の中で生き永らえる細菌のようなものに感じます。細菌と聞くと悪い意味にとらえる方も多いかと思いますが、実は私たちは、その細菌にささえられているそうです。


作品は、自分が生み出しているものではありますが、じつは、自己を超えた精神の白粥みたいなところからわき立つってくるのです、私は素直にその湯気を浴び信じてつくりきり、そしてそれが、あなたへと感染し、よく解らない細菌のように微細で静けさをたたえたモヤっと広がる感覚種が、あなたの細胞の一つと成り発露するのです。そのようなものと考えています。


表現の世界ではマイノリティーはプラスに働くという話をききました、ビジネスの世界でもアートと接することで自分にはない視座をえることが役に立たつとされるようです。しかし、つくることにどっぷりとハマっている側としては、たまったものではありません。長い時間をかけ、はたして死ぬまでに満足出来るもがつくれるのだろうか?と、日々、のたうちまわっていることを興味本位に観られることは、それが真剣であるが故、ビジネスマンでもなんでも、中途半端な気持ちではなく、切羽詰まった真剣さで接してきて欲しいのです。たぶん、感じている世界が白粥の鍋でつながっていると仮定すれば、お互いに何かの発見があるに違いありません。


自分もパートタイムアーティストとして、リーマンとの二足のわらじを履き続けていますが、ふり返ると色々な人の視座に触れることで表現の肥やしになっていることが沢山あります、最近では、幸福に関する話などは良い例です、働くことで幸福感をえることが必要とされてきている、少し前では考えられないことでしたが時代が進む中で、そんなふうに皆の意識が動いているのです、まさに人として何が必要なのかという真剣な問いに関して普通に対話できる環境が日常にもあるのです。


きっと彼方も、そのような新しい風に触れていることでしょう?新たな境地に時代は進んでいます。人が何かを生み出す理由は、欲を満たすこととは少し違いがあるのです。追い求めるものが何であれ、アートもビジネスも暗黙知の底辺にたくわえられた白粥の鍋につながっているという感覚と、人として必要なものを今一度、考え直す時代のように感じます。


今年もまた様々な感覚種に触れられる

良い一年であることを!

  • コメント: 0

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP