山に入り、坂道を登っていると、自然にドクンドクンと脈拍が上がっていきました。

 あまりに静かなので、その音がよく聴こえてくるのです。結構な速度でリズムを刻んでいるのでした。ほんとに鳴っているのですよ、びっくりしました。おそらく今までも心臓は鳴っていたに違いないのですが、身体の内側からではなく、空気を通して外から聴こえてきたのです。静寂とは、かくなるものか?

 昔、TVドラマでみたのですが、音楽家が最初は、街の喧騒が気になりだし曲が書けなくなり、部屋にこもるのですが、冷蔵庫の音、蛍光灯の音と次々にノイズが襲いかかるのです、最期には無音室に逃げこむのですが、自らの鼓動が彼を苦しめだし、悲劇的な結末をむかえるのでした。まぁ、そんな話を思い出したのでありました。

 静寂を求めて、山に入ったのですが、川のせせらぎや鳥のさえずり、風が森をすり抜けていく音の心地よいこと、そこに反して、ドクンドクンと一定のリズムを刻んだ重く雑味のある音が絡みあってゆくのです。日頃の生活の中では感じにくい生命に内在する機械的な部分を垣間みるのでありました。

 そして、踏み跡がわからないほどの落ち葉が積もったフカフカの道を行くのですが、頂上を過ぎて、見晴らしのいい尾根から深い森へと降りていきます。暮相近くになると、先ほどまでの木漏れ日を浴びて、ほのぼのとした空気とは打って変わり、谷深い森は闇へと誘うように、急に冷たく粘度を増してゆくのです。小さい頃にみた絵本の世界です、今晩は、暖かな落ち葉のフトンで寝てゆきなさい、と、木々たちが、ニョキと手を広げて行く手を遮ってくるのです。その手を振り払うように早足で歩き、何度も沢を渡り、ようやく広い林道に辿りつきました…。

 その日、お一人様貸切の本当に静かな山行でした。山に行くとたまに醜美について考えます、人が美しいと感じるものには、必ずグロテスクな醜さがついてまわります。美らしき表層の内側に流れるドクンドクンと脈打つドロッとした内在を受け止めることができるかどうか?それらがどういう繋がりを保っているのか?自然とオノレが同質なものとして感じられる触覚が備わっているか?自分に問うゆっくりとした時間が流れていきます。

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