どこかとつながっている

141021

 
「どこでもドア」ではないのだけど、表現したりつくったりするなかで「どこかにつながっている」感覚はとても重要です。
時間軸、空間軸の視座で、その感覚に気づき、広がりの中で如何様にも自由でいられることは表現者にとっての前提であるのです。

 
全く関係はないのですが安部公房の「他人の顔」という映画をみました、時間が無いのはわかっているのですが、そんな時にかぎって無駄な時間を浪費してしまう自虐行為は止めることができないわけでありまして、劇中に出てくる談笑する武満徹の姿がやけに印象に残ってしまったり、そういえば「充足した独房といいますか人間を安定させていく流れの中で文学は欠乏した自由を求めてゆくのだ。」的なことを言っていたなぁなどと、まったく過去の警告をすっかり無視した今があるのだなぁと、プチ絶望感を味わったりして、時間ばかりが過ぎてゆくのであります。

 
突然ですが個展やります。銀座で個展をするのは、10年以上ぶりです。時間ばかりが過ぎました。今、表現においてだいぶ自由でいられるようになりました。しかもそうとう欠乏しています。おそらくなにも役に立つことがありません。すべて浪費の上になりたつ幻影にすぎない、そのようなものです。

 
または、完全なる敗北感の上にたった自由。それは、河原の秘密基地の雨ざらしのエロ本みたいなもの。今の子供らは仲間同士でそんなドキドキ感を味わうことなどないのでしょう、それは、大人も同じようなもので、充足した独房では欲望や欲求はすでに用意されているのです。でも、それは誰かが用意した罠であることなど意に止めることもないのです。果たして本当に欠乏した自由側にオノレの表現があるのか?はっきりと言い切れる自信はありません。

 
こんなことを云うと、独房の住人からは意識高い系?と馬鹿にされることはわかっています。でもなんかスマートにサラッと全てを受け流すわけにはいかないのです、負けは認めているつもりです、本当は美術で世界を少しでも変えたかった、でもその願いが叶わぬ夢であることはわかっています。希望や絶望を持つことに嫌気がさしています。でも、まだ、オノレの肉体と精神はこの世に漂っているわけで全てが終わったわけではありません。でも限りなく負けは負けなのです。そんな状態でどこに向かうのか?そんなことは知ったことではありません。ただオノレの美意識を深い溜め息のように外に出してみるだけなのであります。

 
それが、どこにつながっているか?そんなことが解るはずないじゃないですか?

 
今日はここまで。

 
〈個展開催〉
銀座・巷房
http://www5.ocn.ne.jp/~kobo/

11.3(月) − 11.8(土)
12:00 – 19:00 / final day 17:00

21. 10月 2014 by Takayuki Katahira
Categories: 周辺のコト, 美術のコト | 2 comments

Comments (2)

  1. 期待してまっせ〜個展

    昨日みてたTVであなたと同い年くらいで、いまボブマーリーの住んでいた2件どなりに住んでいる日本女性が同じような話をしてましたよ〜
    彼女は人生ピンボール・・って。飛んで行った先に何が待っているか分からないけど、飛んでいかないと、何にも出会えないし、出会ってみないと飛んでく先は分からないって。
    なかなかステキな生き方をしている人でした〜

    • あまり期待しないでくださいまし…。
      まったくステキな生き方とは程遠いサエない野郎が
      サエない作品をつくっておりますので…。
      でも会えたら嬉しいので是非よろしくお願いします。

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