解体装置としての美術

150618

 
「私たちはどこへ行くのか。そして自分は何をするのか?」
日々考えを巡らせています。

 
現代は一瞬完成したのかもしれません。しかし今日も漠然と不安と恐怖に追い立てられるように生活しているのは何故でしょうか?イデオロギー。最近思うことは、どうやら人よりも悩みが多いのかもなぁ…ということです。

 
現代美術は同時代性ということを常に前提にしています、ですから私は、さして必要も無い情報も未来への兆しとして敏感に反応してしまうのは、現代美術症候群と呼んでもいいのでしょう。一般生活を維持するための労働の場でその病が出てしまうと「宇宙語を喋っていて何が言いたいのかサッパリだよねー。」と陰口を叩かれてしまうわけです。ですから、そのような方向に話が展開しないように気をつけることと、情報にはなるべく近づかないような生活を心がけ、感覚的に美らしき気配を日々感じられるように努力しているのですが、都市生活者として致し方ない部分もあるわけなので、電車に乗ればスマホでみなさんがどことつながっているのか?覗き見してしまいますし…。自宅にはもうテレビはないのですが、ふとテレビがある場所にいけば普段見ていない分、食い入るように見てしまいますし…。パソコンを開けば隠蔽さているニュースがないかをチェックしてしまいますし…。本屋にいけばついつい長時間立ち読みしてしまいますし…。ついついいろいろ観察してしまうわけです。

 
そんな中途半端に断片化した情報が意識下に再構築され続けていると考えると、おそらく表現においてもそういったなものになるだろうし、コミュニケーションにおいてもグダグダになってしまうのは仕方の無いことと諦めているわけで「私はどこにも行かない。ただ、意識の解体装置としての美術を模索するのだ。」と呟いてみるのでした。美らしきことは野蛮な行為でもあるのです。

19. 6月 2015 by Takayuki Katahira
Categories: 美術のコト | 2 comments

Comments (2)

  1. 昨日、木場にあるギャラリーで高橋士郎、原田大三郎、山川冬樹、小松宏誠、谷口暁彦、莇 貴彦の作品を見ました。高橋士郎さん、原田大三郎て片平さん知ってる?私が知らないだけで凄く有名な方かもしれませんが、てっきり力のあるお若い作家さんだと思ってましたら、年齢を伺ってびっくり!
    1970年代にこんなの作ってる人がいたとは・・・
    って事はその時代からあんまり発展してないんだね・・現代アートって。

    • カキコミありがとうございます。
      確かに発展してないのかもしれません…。
      おそらく、美術に限ったことではなく、発展しているということが解りづらい世の中なのかもしれません。
      昨日、映画の「インターステラー」を見ました。“冒険心や開拓心”を刺激されるストーリーです。目の前の糧も大切だけども、夜空や星を見上げて未知なるものに意識を向けることを忘れてはいけないのだ。というようなメッセージを感じました。それだけではないのだけど、結構楽しい映画でした。
      美術にも“冒険心や開拓心”が本来必要とされるハズなのですが…。作家がどこに向かっているのかってのが大事だと思うのです。現代アート=オワコンという印象は拭えないかもしれませんが、くくるのは止めて、時代性とか無視して、作家一人ひとりが苦しんで模索してると思いますので、その姿勢や意識を楽しんでもらえると良いかもしれませんヨ。たぶん、何の足しにもならないかもしれませんが…。

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