原風景

 
最近は、ひとりでいることに向いています。まぁ働いてはいますが、心を閉ざした引きこもりであります。ブログをサボっていることのツマラナイ言い訳なのでありました。

 
対話と言ったところで自分がダメダメであれば、全てが台無しなのであります。オノレと向き合い、人と向き合い、大勢と向き合う中で、原点は一人称の私にあります、常になんかちょっと違うんだよなぁという違和感を表面的に繕い、一生懸命に打ち消したところで内省的な対話は成り立ちません、オノレの狭さに嫌悪感を覚えるばかりです。オノレがどう形づくられているかを観察することを怠っていてはいけません、その形は人それぞれ、他人から言われることも時に参考にはなりますが、オノレの形は自分でしか診ることができません。そしてオノレとの対話から始めなくてはいけない、モノゴトを感じ表現することは、オノレとの駆け引きが、とっても多いのであります。

 
先日、ある人の作品展を観に行きました。そこには原風景と呼べるようなものが、たくさん並べられていました。子供の頃に見た、心に焼きついた風景、光に満ち、風が吹き抜け、力強い大地と海。人間には刷り込まれたものがあることを思い知らされました。皆がそれぞれそのような原風景を持って生きているのでしょう、それを大切にしまい、忘却の彼方に置き去りにしているのかもしれませんが、心の奥底にはその人なりの風景が広がっているのでしょう。

 
昔、その人に質問をしたことがありました。「故郷を訪ねたりしないのですか?」こんなに近くまで来ているのだから、フラッと、そこに立ち寄ったりするのかと思ったのです。答えは、「美しいままで残しておきたいから、そこには行かない…。」淡々とおっしゃられました。風景の中に立ち、そこで感じられたこと。それは、時代のうつろいと共に、歩む中で、熟成された記憶となり、燦めく石のように結晶化してゆくのでしょう。そこに帰れないと知りながらも、それに向き合い表現する。なんとも美らしき生き方ではないでしょうか。

 
オノレとの対話するときには、そのような心の奥底を診る必要があります。美らしき記憶は、知らず知らずにオノレの形に影響しているハズなのです。そしてそれらを起点にすること、それは表現者の常識なのかもしれません。

19. 9月 2017 by Takayuki Katahira
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