個展終了

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個展終わりました。
すべてに感謝しております。
本当にありがとうございました。

23. 10月 2016 by Takayuki Katahira
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個展始まります

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皆さま、こんばんは。
明日から個展「静寂の端 位置の形成 回生の支度」が始まります。

 
巷房
http://gallerykobo.web.fc2.com/
10.17(月)− 10.22(土)
12:00 – 19:00 / final day 17:00
〒104-0061 東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル
Tel/Fax 03-3567-8727

 
よしこれから搬入です。クルマに入るだけの荷物を積んで銀座のギャラリーに向かいました。
その直後、交差点を右折した瞬間、向こうから勢い良くクルマが飛び込んできました。瞬間的にハンドルを左に急ブレーキ!あぁぶつかる止まらない完全にぶつかるタイミング。相手の女性の顔が引きつっているのも見えました。こんな時、人はよくそんなものを見ているのか不思議に思いますが…。本当にギリギリ、あと数センチのところで止まりました。助かった…。
それからも安全運転に徹し、ほぼ、予定どうりに銀座に到着、歩行者天国でぐるっと遠回りをするも、目の前の一台だけ空いていた駐車場にすんなりクルマを止めることができました。そして、道を渡る時、横の方でギギギと急ブレーキの音。今度はコチラが轢かれそうになったのでした。セッカチに勇んで、飛び出してしまったのでした…。

 
なんか、今日は、命がけだな…。

 
ギャラリーに挨拶をすませ、クルマの中で軽く瞑想をしました。本当は、数分でも寝たかったのだけども眠れそうにありません。目をつぶり、呼吸を整え、空っぽに空っぽに…。そうこうするうちにクルマの横に女性が一人が、「搬出は終わりましたので、もう、できますょ。」とわざわざ伝えに来てくれました。

 
さて、3階のスペースの展示であります、作品が緊張感をもってそこに存在してくれるかどうか?不安でしょうがありませんでした…。インスタレーションとは言いながらも、ほぼ、カタチができているものなのでありました。サクサクと作業は終わり、あとは、昼間の光の中でのライティングの調整だけでOK!
そして、翌日は地下の展示、光と影を効果的に見せるというプラン。イメージどうりにはいかない、アトリエで見ていたそれとは全く別物なのでありました。ああでもない、こうでもない、昨日とはうって変わり迷走しました…。糸口が見えません…。結局、思いっきり要素を削りおとしました、これもインスタレーションの醍醐味かもしれません。あの作業はなんだったのだろうとは思いますが… 削りに削り、最後丁寧に布を縫い合わせ作業は終了。プランには無かった、展示が完成しました!

 
事故にあいそうになったあの瞬間から、誰かに見守られている感がありました、なんなのでしょうかね?
本当に無事にここまでこれて、感謝しかありません。

 
自分で言うのもなんなんですが…。とてもいいです。自分の作品に感じられません、誰かが自分のためにつくってくれたもののようです。もし、このブログを読んでしまったら、必ず来てください。そして周りの人も誘って。失礼ですが仕事なんかしてないでサボってでも来てください。もし、自分がダメなら代理人をよこしてください。お待ちしております。

 
よろしくお願いいたします。

16. 10月 2016 by Takayuki Katahira
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個展やります。

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「静寂の端 位置の形成 回生の支度」

 
巷房

 
10.17(月)− 10.22(土)
12:00 – 19:00 / final day 17:00
〒104-0061 東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル
Tel/Fax 03-3567-8727

 
よろしくお願い申し上げます。

10. 10月 2016 by Takayuki Katahira
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明日が来てる

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ブログを更新できません。結構、下書きは書いているのですが、腹立たしいことや悔しいことばかりの雑念にまみれております。それでも「明日が来てるぞ。」と言っては、周りや自分の背中を押しています。ウソばかりの日常です…。

 
私は、ヒトではなく人のことを、人間関係ではなく人間との関係を考えたいと思っています。
「処置なしの野蛮な思想には近づくな。別の次元を生きろ。戦いにのまれるな。」と心が叫んでいます。

 
日々、対話対話と言ってはいますが、そもそも意識して対話をする関係など、その現実が不幸そのものなのです。「チャランケの後は、イクサだ…。」対話と言っている時点でほぼ先は見えているのです、対話の意味を考えれば考えるほど、絶望と紙一重のところにいることが明らかになってくるのです。日常は狂気に満ち溢れています、誰が悪いわけではなく、狂気はただそこに在るもののように感じます。たぶん、敵などはいないのでしょう、無理やり戦ったところで虚無感だけがポッカリ口を開けて待っているだけなのだと思います。それでも、前に進まなくてはいけないのでしょう…。人間は…。

 
さらに、ヒトや人や人間を変えようとするオーソリティーに辟易しています。期待される人材にならないと生きてはいけないのですか?アナタはそんなに完成されたヒトなのですか?私はアナタのようにはなれないのです、いや、なりたくありません。でも、今日に満足なんかしていません、日々、自分を変えていますし自分が変わることを意識しています、目指すべきオノレに近づくために。それでは許されないことなのでしょうか? いや、ワガママ言いますが許してください!

 
ホント、ひとりで、静寂に包まれて、美らしき気配を追い求めたいのですよ。頼みますからチョッカイを出さないでいただきたい、こっちはこっちで制作とか何やらで忙しいのです。

 
個が試される時代なのですね、疲れます…。

26. 9月 2016 by Takayuki Katahira
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執行空間

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毎日、勤め先に向かう途中、バスから見る「朝の光景」がありました。

 
そこの交差点の角には、植栽にわずかばかりの凹みがありました。
5年前のある日、白いテントがたちました。
ある日、テントの前でビラを配る人がいました。
ある日、そのテントの前の折りたたみ式の椅子に何人かが座り話し込んでいました。
ある日、その前に人だかりができていて、怖い顔をした人たちがテントに向かって大声を張り上げていました。
ある日、クサリが張り巡らされました。
ある日、盲目の男が一人、椅子に静かに腰を下ろしていました。
ある日、監視カメラが設置されていました。
ある日、隙間に小さなテントが間を埋めるように立ちました。
ある日、張り巡らされたクサリに看板が何枚もぶら下がっていました。
ある日、もみ合っている人たちを少し離れた場所でビデオ撮影をする人がいました。
ある日、テントの前の小さな鉢に水をやる男がいました。
ある日、テントの上に雪が積もりました。
ある日、木の緑が濃くなってきてテントを覆いました。

 
そして今日、テントはなくなり、柵でその凹みは囲まれていました。
台風が近づいていて強い雨と濃い緑が大げさに揺れていました。

 
白いテントがたってから、いつかこの日が来ることを予感しながら、その前を日々通り過ぎました。私は、囲まれた柵の内で、何も気づかず、何かを見落とし、痛みも感じず、あまりにも滑稽な、過ぎゆく日々を傍観しています。

23. 8月 2016 by Takayuki Katahira
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ピンと張った一本の弦
指で弾くと上下に振れて音をだします
弱く弾けば小さな音、強く弾けば大きな音
どんな音もやがては減衰して静寂がおとずれました。

 
ある日、子供が弦を引っ張っりました
満足できずに力まかせにおもいっきり引っ張りました
パチンとはじけて、ぶらんとたれ下がった弦。
結び直す術など知らない、泣きじゃくるばかり。

 
大人だったら知っていました。ものごとには限界があることを
加減をみながら、いい音、悪い音を紡ぎ出すことを
そして、子供を許すおおらかさを。

 
現実はどうなりました?
だらんと垂れた弦に囲まれています
キラキラと輝く弦、錆び付いた弦、細い弦、太い弦、
長い弦も短い弦もみんなで垂れ下がっています。
一人もそれらを結ぼうとはしません。
風で揺れた弦どうしがカサカサと乾いた音を
ひたすらに、引っ切り無しに、出すのみです。

 
世界が陰陽でできていたころ
ピンと張った琴線は美しい音を紡いでいました
響く音が美しいと感じていました。

 
いつからか「わっせ、わっせ!」と掛け声がうるさくなりました
目の前に垂れ下がった弦をかき分けかき分け
みんなで行進。そんな日常。
「わっせ、わっせ!」明日に向かおう。
明るい方へ、明るい方へ。

26. 7月 2016 by Takayuki Katahira
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幸せ

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ぺぺは、言ったそうです。
これまでで一番幸せだなと感じたことは何でしょうか?「ずっと長い間、収監されていたから、外で雨に打たれるということができなかった。初めて釈放されて、私は、雨の中を濡れながら歩いていた。やがて、その雨のしずくが顔を伝わって口を濡らしたとき、本当に、幸せだと思ったんだ。」

 
何かとても美しい光景が広がってますよね。

 
私が、一番幸せだと感じたコトは何だったのでしょうか?想いをめぐらしてみますと感じているコトって本当に沢山あります、でもこれが一番だと言い切れる瞬間があったかといえば、ぺぺのような大きな転機は訪れていないようです。

 
最近、話をするうちに「幸せ」に話題が転がってゆきました。毎日々、好きでもない仕事に忙殺されて楽しい時間なんてほんの少し、将来に対しても希望が持てないし、まわりと比べれば劣等感に苛まれていて幸せを感じる余裕が持てないとのコト。それは、人ごとではなく、私もまったく一緒なのです。さらにコチラの思考はどんどんと停止してゆく一方、この年になっても不毛な無限ループから抜け出ることができない、ほとんど先は無い。と自虐的なことを上乗せしてしまうありさまなのです。

 
まわりを見渡せば幸せそうな人ばかり、カフェでPCを開きバリバリと働いている人たち、笑顔で楽しそうにおしゃべりをする人たち、誰かとつながってスマホをいじる人たち、大きなブランドの紙袋をぶら下げて歩く人たち、皆、満たされて幸せそうに見えます。自分も外から見ればきっと幸せなのですよキット。でしょ。「幸せは、あなたが気づかないだけ、もう幸せなのですよ。」「みんな小さな幸せで満足して生きましょうョ。」と思わず自己啓発チックなことを口にしてしまいそうにもなるのですが、ちょっと待って下さい、それで問題は解決しません。

 
そんなに不幸でもないけど、そんなに幸せでもない感じがしますよね…。きっとこれは幸せってことだよ。と自分に言い聞かせて、頭で理解してもダメなのです。幸せは感じるものだから。

 
では、幸せを感じるために何をしたらよいのでしょうか、やはり努力や戦いは必要なのではないでしょうか?ぺぺだって壮絶な戦いの中から得た幸せで多くの人を導いています。何もしないで幸せであることなどあり得ないのではないでしょうか、共感できる人々、自由に活動できる環境、そして心から生まれる笑顔、それらは幸せへと導いてくれる条件かもしれません。でも約束されたものでもありません、それらと積極的に関わってゆくことこそが必要なのです。そう思います。

 
まぁ、そんな訳で、幸せのために影でコソコソやってますよ…。邪魔されないようにネ。

06. 6月 2016 by Takayuki Katahira
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時と間と空

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時間とは時〈とき〉と間〈ま〉であります、生と死は線でつながっているものではなく、点滅するかのごとく、時と間でつながっています。精神的なカラダはそのようなものに支配されているように感じます。アタマは、過去や未来といった迷妄を破ることができませんが、心髄には今しかないです。しかし人は、それは不可能だと感じながら、空ずる間が時を生み出す瞬刻を一生懸命にとらえようとします、そんな行為が美らしき行為なのだと思います。

11. 4月 2016 by Takayuki Katahira
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乾いた雪

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朝おきて、外に散歩にゆくと地面には乾いた雪があり、北の地はよいなと想いました。
弾丸ツアーで、お酒も一滴も飲まず…。ほんと音だけに集中した2日間でした。

 
即興とは言いながら、起きていることへの意識をどこまでも広くとらえ、また、それを瞬時に表現に変換し、手が届く範囲だけではなく、様々の隙間という隙間に水道の蛇口をひねるかのごとく音を流し込み、そして満たし、浄化させ、空っぽにし、そして細胞に流し込み、また満たし、空間や肉体を変容させることができるのか、音によるインスタレーションの試みのひとつなのであります。

 
目の前で舞踏する人、横で音出す人、そしてそれを取り囲む人々、すべての人々の周辺で意識がゆれています。そして上を見上げれば天井のコンクリートのむこうには、広大な夜空が広がり、下を見れば土と大地が広がっています、それらすべてがすでに音を発しています。電気はすでに狂気を孕んでいて、いくら美らしきものがあろうとその影には狂気がのぞき、こちらをうかがっているかのようでした。

 
40分のステージでしたが、記憶は5分ぐらいしか残っていません、残りはどこかの意識とつながっていたのかもしれませんし、無になっていたのかもしれません。すばらしき瞬間の連続でした。

 
イベントを企画し関わってくれた方々、そして、ご来場された方々に心より感謝申し上げます。贈り物をたくさん頂きました。

 
アリガト。

13. 2月 2016 by Takayuki Katahira
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NEXT ERA NORTH at PRECIOUS HALL

nextera

http://conte-sapporo.com/nexteranorth/

 
〈心の瞬間的な状態〉意識を記述しようとすると、何か奇妙なことがある。それは、意識という言葉で何を意味しようと、意識ということが明確になるとは思えない、ということである。意識は、混乱しているとか、何がなんだかわからないといった感情ではない。そうではなくて、何が起こっているかはわかっているのにそれを正確に記述できない、と感じるのである。きわめて近くにあるように思えながら、いつだって手が届かないようなもので、これ以上のものがいったいありうるだろうか。
マーヴィンミンスキー「心の社会」—–

 
今回のこのイベント参加を決めた理由は、このイベントへの意識を明確に感じることができたからなのだと思います。たぶん、主催者は、プレシャスという場を変容させようとしています。私たちは知らず識らずのうちに様々なモノゴトを常識という枠にはめ込んで生きています。自分たちの遊び場でさえ常識の範疇で満足しています。そこからはみ出せばもっともっと楽しみがあるのにそのことに気がついてはいません。おそらく、主催者たちは言葉を求めています、それは、常識を破って行動することでしか出てこない言葉です。それを武器にして次に進もうとしています。そんな機会に声をかけてもらっている訳ですから気合いが入らないはずがありません。

 
今回の私の出番は、田仲 ハル (舞踏) × SYV BRUZEAU (舞踏) 《France》 × SHOHEI TAKATA(電子音)×私(電子音)との4人でのステージです。まったくの即興でもよいのでしょうが舞踏家たちは、ある意識のもとに踊るようです。音のほうは任せるよと言ってもらっていますが、何かを聴き、音を出すということは、まったく瞬間的なことでありまして、何も決めない方が純粋ではあるのですが、今回は、ある程度の意識の統一みたいなものが前提にあったほうが巧く作用するのではと思い、即興譜をもとに音を出すことにしました。しかし、カラダも音も瞬間的に煌めき、そして消えてゆくわけでして4人から何が生まれ何が消えてゆくのか、そこで目撃した人々に何が残るのか、今からとても楽しみにしています。

 
是非!お見逃しなく。再会と出会いを楽しみにしております。

06. 2月 2016 by Takayuki Katahira
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bariumu

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白いうんこ。化学のかおり、すごい違和感。時限爆弾が炸裂。非現実な今日の現実。ムクムクと過去をひきずり。停止命令。漏れる漏れる言葉。あふれる言葉などもうどこにもない。しずくのように垂れる。白い液状のエロス。きく。たそがれ臣下のウジ虫どもが。よりそう。それがしんかか。よく磨かれた大根。培養ドロも白か。それもしんかか。停止線をいちミリでたら。集中砲火。だってそれっていけないことだろ。きみがみんなできめたおきてを破ったのだからね。白いかみにかかれていただろ。ぼくらのしんかのためだって。未来を怪我すことはゆるされないんだよ。すべての火器がきみをはねるのさ。あはは。その時、白いうんこもはねるだろ。あはは。

 
本日、バリウムをいただきましたとさ。

28. 1月 2016 by Takayuki Katahira
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負け

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昨年もいろいろありました。きっと今年もいろいろあるでしょう!

 
これができなければ“負け”なのだ!自分たちの存在意義が認められず、やりたいことも出来なくなり、生きている意味など無くなってしまいます…。だから皆で戦いましょう!!!

 
何度も繰り返されるスローガンであります。でも、いままでこの手の話のあと、皆でがんばり、そして、目標を達成した暁の勝利宣言などをきいたためしがありません。ただ自分が勝ち組(いやな言葉です…)にいたいだけ…。

 
ダラダラと戦いが続くだけです…。

 
ここ数年、問題や課題と勝負し、相手を叩きのめして勝利を手にするなんてことにまったく思考が向いていません。逆に、まだ、みんなは戦っているのだなぁなどとのんびりかまえているわけであります。他人からみれば戦意喪失した燃え尽き症候群のオッサンに見えていることでしょう…。

 
そして確認のために、周りの人達にも「戦っているのか?」問うてみると「すんごく戦ってますよ!」という返事が多くて驚かされました。「なにと戦っているの?」と返すと「自分と…」という人が多いようです。

 
人は自分に無いものを知っているが故に戦っているのではないかと思います。
「美らしきこと」を探すことも感じることのできない美意識に一歩近づくための戦いであるのかもしれないわけです。自身はそんなに戦っているという意識は無いのですが…

 
自分の中では、“戦い”よりも“対話”というものに心が支配されています、モノやコトやヒトといかに対話できるのか?とても難しい。戦うこと以上に難しい。命がけであります。でも意識をそれに向かわせることで戦うこと以上の成果を少しばかり手に入れられてきているような気がしてきています。昨年も沢山の贈り物をいただきました、ここに詳細は書きませんが、本当にありがとうございます。感謝しています。対話とは、コミュニケーションの手段ではなく、自分が動いてゆくこと、実行してゆくことの意味合いを噛みしめつつ今年も自分の活動に反映させていきたいと思います。

 
固着しながら流動し、痼りをのこしてゆくような…

 
そんなことを考えながら年を越しました。
今年もそんな感じでおつきあいのほどよろしくお願いいたいます。

05. 1月 2016 by Takayuki Katahira
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